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2012年11月 2日 (金)

いろいろ(353)「報道の脳死」と大腸がん検査キット

烏賀陽弘道「報道の脳死」を読んだ。新聞・TVの報道はばぜあれほど陳腐なのか、ということを元朝日新聞記者・現在はフリージャーナリストの体験から解説するもの。たとえば「あれから一年」特集記事では、津波で死んだ祖母(子どもから見て)、震災後に生まれた子どもを抱く母(亡くなった祖母の娘)という構図で記事を書くのが「お約束」となっていて、各社の記事は大同小異。事故の原因をえぐる記事は書いてはいけないのだそう。ま、その他、記者クラブの弊害なんかにも触れられてます。

ジャーナリストに接する仕事も時々あって、取材のアレンジのお手伝いなんかもするけど、中には「最初に結論ありき」の人もいる。そういう人の方が多いかも。特にTVなんかだとね。仮説をもつのは大事だけど、それに固執してはいけませんよね。

昨日、突然郵送されてきた大腸がん検査キット。ストックホルム県からのもので無料で検査してくれるのだそうな。でもいろいろ説明を読むと赤身の肉とかレバーを検査3日前からとってはいけない、とのことで、火曜日に鶏レバーの唐揚げくっちまったから明日まで待たないと。でもこーゆーのって小学校の検便以来で、なんとなくちょっと背徳気分がしたりして?

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コメント

そういえば、CNNのニュースサイトにスーパーマンが上司と喧嘩して勤めていた新聞社を辞めた、という記事がありました(^o^)。
スーパーマン(C. ケント)の言い分は、『事実は意見に置き換えられ、情報は娯楽に置き換えられた。記者は速記者になってしまった。ニュースの現状にうんざりしている』から、なのだそうですが、現実の世界でもそうかもしれないな、と思ったりもしました。
だからと言って、これからのストーリ展開でそうなるようにネットで情報発信して、ケントが満足できるかどうか、私にはわかりません。BOTという技術があって、人間そっくりにふるまうのだそうですが、「followerはみなBOT」(なんか小説のタイトルになりそう)だったらあまり気持ちがよいものではないし (^^;)。

クラーク・ケントが辞める、というニュースは私も目にしました(内容までは追っていなかったけど)。ジャーナリズムはそもそも、ある事象をどのくらい自分が理解しているか=その意味付けが分かるか、それをどう伝えるか、というプロセスの中でいろいろ限界が出てくるものだと思います。情報を売るのが商売ということになるとスピードも他社とも競合条件になるから、そこで拙速ゆえの間違いも起きるとか<例のiPS細胞移植を騙った大学教授の報道とか<日経だけがうさんくさいからととりあげなかったのだそうですが。

コメント作成中にJavaの更新版のインストール案内がきまして、インストール完了時にブラウザを再立ち上げしたら書いていたコメントが消えてしまいました (^O^;)。大したことを書いていた訳ではないから、まあいいか ・・;

思い出した一言だけ。

ネットを含むメディアはどれも、姿勢に賛成しない読者はそこから去ってゆくはずです。でもメディアの中から見ていると、読者はメディアの姿勢にいつでも賛成しているように見えるはずなので、メディアの中にいる人には反対意見があることになかなか気がつかない(つけない)ということになります。

家に例えると、メディアという家を読者という土台が支えている構図ですが、家の内装・外装を細かく調べて問題が無いからと言って、土台が無くなって家全体が宙に浮いていた(@ @!)、なんてことはないよね、と思ったりもしました。

いっぱい発行部数を誇る新聞なんかは読者は全員自分に賛成しているのだ、支持しているのだ、と思っているのかもしれませんね。
ネットの場合は反対意見の人もやってくるかも?<炎上とか

ちょっと噛み合ってないけれど、振り返ってみると、自分のコメントは個人的な観察が元になっていることに気付きました。言いすぎていることもあるし、細かくなる前にこの辺で置きます。

参考 ある観察記録
高校の頃、新聞社は「反公害、反企業」キャンペーンに熱心で、その実践として、製造業の中堅男性社員の人物像及び生活習慣像を目標として、「(中堅)男性層*だから*時代遅れ」とするネガティブキャンペーンを盛んに流していました。(今も相変わらず。)
それからテレビが立ち上がり、ネットが立ち上がり、伴って新聞の退潮がはっきりしてきました。
新聞の退潮については、メディアとしての性能の差、取材体制、記者の資質など、いろいろな事が言われています。個人的にはこんな事を考えてもいます:
「主要だったはずの読者に対する、根拠のはっきりしない上記のようなネガティブキャンペーンを張り続ける体質で、新聞は読者からの信頼感を徐々に失った。その結果、読者が新メディアに移動した。こんな事もあったのでは?」

読者におもねる、というのは新聞よりも雑誌で顕著かもしれません。女性週刊誌(日本の)の編集部のトップは絶対、女性とはこういうものだという偏見を持ち続ける男性なんだろうなぁ、と思いながら読んでいたりします。
私は現在は日本の新聞はほとんどネットで読んでいるわけですが、基本的には新聞記事を短くしてそのまま載せているだけのように感じます。ただ、面白いのはネットに出てすぐに消える記事があることです。私に関係ある某組織に関する暴露記事なんかがこちらの夜の時間(日本の朝の時間)に突然出て、翌日の朝(日本の午後早い時間)に消えていたりすることが何度かあったのでした。これなんかは多分新聞の「ネット部」が(新聞社的には)暴走して記事を載せてしまった後、紙の編集部の編集長がびっくりして記事を削除した(さしさわりがあるということで、、)のでは?とみているのですが。

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