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2012年10月 2日 (火)

いろいろ(340)「廃墟に乞う」&「3・11後を生きるきみたちへ」

佐々木譲「廃墟に乞う」と、たくきよしみつ「3・11後を生きるきみたちへ」を読んだ。「廃墟・・」は殺人事件の精神的後遺症で休職を余儀なくされている刑事がプライベート・ベースで別の殺人事件の解決のヘルプを頼まれるという短編集。北海道が舞台で、破産状態の夕張市(の隣の町)が出てきたり、漁師の特殊な刃物が事件の謎を解く鍵だったり、「地方性」が活かされている感じも。文章は上手いけれど、殺人事件の解決を短編で扱うというのは、(「謎解きは・・」もそうだったけど)ちょっと焦りすぎの展開にならざるを得ない気がする。独立した短編の集まりなんだけど、段々休職の期間が長くなってて、復帰が暗示される最後の短編で、なんで休職をせざるを得なかったかというトラウマの説明もあるので、全部一気に読むとより面白いかも。

「3・11・・」は原発事故を福島で迎えた音楽家・小説家の「告発本」。岩波ジュニア新書の一冊で、よくこんな赤裸々な原発批判を(しかもティーン向けに)出版したなぁ、と出版社に感心。原発マネーの説明、エントロピー増大の法則(ごみがいっぱい出るということ)の説明などがわかりやすく書いてあって実にためになりますです。「自分で判断せよ」というのはまだしも「自然に回帰せよ」という結論が、果たして日本の10代の若者に適当かどうか、ほんのちょっと疑問は残るけど、読むべき本であります。

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コメント

自然回帰という言葉にいつでも感じることは、これは天上の論だな、という思いです。数学を含めてどんな論にも、天上の論と地上の論があります。

数学など、公理と推論規則で結果は唯一決まりそうなものですが、これは天上の論。地上でやっていると、あるときに、与えられた公理からはその命題が正しいとも誤りとも証明できないというケースにぶつかります。困ったことに、正しいと結論しても、誤りと結論しても、数学はできてしまう。当然、違う数学になりますが。
(たとえば、世の中には、無限大という数を認める数学と認めない数学とがあります。普通に習う数学では無限大という数はありません。これは、アルキメデスの公理からの結論。この結論に従うと、無限大という数があるという論は誤りということになる。)

天上の理論を唱える人は往々にして、地上の理論を営々と作ってきた人たちの努力をないがしろにします。そんな結果は天上の理論によれば当たり前だ、とばかりに。では、天上の理論から地上の理論の与える結論を誰でも出せるか、というと・・・ 数学では当初、できると信じた有名人がいまして、できるという事を証明しようと関係者が鋭意努力の結果、できないという結論に達しました・・
(ゲーデルの不完全性定理)

まあこれはマニアックなお話ですが、エネルギー関係では、「未知の技術は未知だから問題が起こらない」、という理解に苦しむことを本気で考えている人がいるみたいですね。現代社会のような複雑かつ巨大なものを支えている技術はもし事故を起こせば大変なことになるのは、金融(工学の)破たんで証明されていますが、これに対応するのは、「新しいけど未知な技術」ではなく、「信頼できる技術と士気の高い人の集団」以外にないと、個人的には思うのですが。

「アキレスと亀」なんかをちょっと想像しました<「無限」についての「数学論」(?)

プルトニウムなど、自然界には人間が作った(作ってしまった)元素=自然界には無かった元素=があって、それらは自然界にはあってはならないのだ、という主張でした<たくきよしみつ氏
ちょっと「しつけのなっていない大型犬」を髣髴とさせるような?<暴れだしたらどうするのだろう?

もともと自然にはない、人間が作ったものをすべてなくすことが自然回帰というなら、化学薬品も、芸術作品も、政治体制も、すべてなくすことが自然回帰なのでしょうか。どこかに線引きがあると思います。その時、線の引き方によっては振り落とされる人が出るかもしれません。

そのあたりの評価が一切なされないまま論が展開されているとしたら、いかにも天上の論ですね。苦労して線を曳いても、線を引いた人が報われないとしたら・・・

そうですね<線引きが難しい
関係ないけど、乳児を育てるのに母乳が一番という主張があった時代と粉ミルクでもOKという時代と粉ミルクの方が良いというブームの時代があって、それぞれ新米の母親達は振り回されてました。何が正しいのかはケースバイケースで、一概にはきめられないと思います。。関係なかったかな?ぴゅーたたたた。

最初は、その本にもし「この本の内容は正しい、だから従わなければならないのだ」と書いてあったら、自分なら祭壇に祭って周囲に結界を渡すだろうな、と思いながらコメントを書いてました。
「この本に書いてあることが正しいと、皆様、認めていただけませんか?」となっていてそこから先の判断は読者に任せる、となっていれば手に取ってみる気になるかもしれません。

「正しいこと」とどう付き合うか、という問題って、言葉で伝えるには難しすぎるテーマだな、と思いました。

私も、巣穴に戻って冬眠の準備・・・

この本は実際に福島に住んでいて、原発事故報道の後すぐ自分の判断で逃げ出して、その後自分の判断で戻った(その後住み続けられなくなって栃木に引っ越したそうですが<後書きによれば<それは本文では触れられていない)著者が、自分の体験や自分の調査で「これは正しくなかったor正しくない」ということを書いたものです。つまり「正しい」と押し付けているわけではなく、どちらかというと「現実に起こっていたいろいろな対応が正しくなかった」ということを説明したものです。

「正しいこと」を追求するのが「○○的に正しい(望ましい)」かどうかとか、「正しいこと」には、「究極の正義」とは違って、いろんな意味でいろんな条件が付いてしまうのかもしれません。

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