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2012年7月 8日 (日)

いろいろ(316)「ヘヴン」

川上未央子「ヘヴン」を読んだ。斜視のため陰惨ないじめにあう14歳の男の子。同じクラスには主義(追い出された実の父の貧乏さに共感)から不潔な格好を続ける女の子がいて、彼らはいじめられ仲間としてユニークな「恋人」関係になるのだけれど、男の子の目が手術可能だと分かって、その関係は崩れてしまう。

帯には「涙がとめどなく流れる」とあったけど、それほどでもない。でも読み手を先に先にと促していく本格派の小説。川上未央子は読まず嫌いだったんだけど結構良いかも、と思った。

いじめの問題、折からニュースにもなってますね。いじめられる側の防衛の方法はひとつ間違うと上の小説の女の子みたいに不幸な結末を導いてしまうこともあるから、やっぱりいじめてはいけないんだということを教える&学ぶ方が正当でしょうね。想像力が豊かであればある程度、こんなことすればあんな風に感じるだろう、ということが理解し易いのでは、と思うのは楽観的過ぎるのかなぁ。。

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コメント

小6のころと言うとかれこれ半世紀以上前になりますが、転校先で、相撲取りみたいな番長に目をつけられて、手下二人に一年間付きまとわれたことがありました。中高大と、一応名の通った学校に籍がありましたが、ここでも、体育の時間に更衣室で、目の前で、名前を書いた紙を集団で土足で踏みにじられたことがあります。半世紀も前からいじめはあったのですが、結局誰も有効な手を打てなかったということですね。

報道を聞いていると、関係者全員が疑いもなしに「力のないものには力のあるものの言うなりになる自由を与えよう」という前提で発言しているのですが、これが続く限り、対策としては、「言うなりになることを」自由とは認めないなら、「君子は危うきに近寄らず」とならざるを得ないのではないか。「力」だけでは解決がつかないことがある、と、全員が身にしみるまでは、いじめの何が問題なのかすら判らずに、互いにお題目を言い合い続けることになるのだろう、と、予想しています。

追伸
 「団結しよう」という発想も、「力だけが解決の基、力を得るために団結しよう」ということですよね。

子どものころは「成績がよく活発だった」のでいじめの対象にはなりませんでした<私。ただ子ども心に無意識にそういうキャラクターを作って自己防衛していたような気もします。でも多分、それでも起きてしまうときには起きるのだと思いますね<いじめ。
「身にしみる」ための疑似体験をたとえば読書とか映画とか授業とかで与える、というのは幾分効果があるのではないかと思ったりもしますが、社会自体が病んでいるからもうそんなことではダメなのかもしれません。。

「たなばた」を「棚幡」と書くとお仏壇周りの習慣になり、「七夕」と書くと笹の葉と短冊の習慣になるのだそうです。漢字で話すわけには行かないから、話すときには、今どの字で話しているかいつでも気にしていないと話についていけません。

日本語では、「そう見える」以上の意味はない言葉がまずあって、その言葉の理解が同じ人がグループを作ることが、かなり頻繁にあるように見えます。こういうグループは、内にいるときには居心地よくとも、外に向かっては「そう見える」理由を説明できない分、「そうは見えない」人に説明ができず、「そう見える」人だけで閉鎖的な集団を作りがちに見えます。こういう集団が「そうは見えない」人を説得する手段は往々にして、「そう見えるから」という基準を「多数決(=数で押し切る)」で強制します。これが時にいじめという事故に繋がっているのではないか。

マスコミが良く使う言葉の中には、例えば「男性社会」のように、「そう見えるから」以上の定義がないまま流れている用語があります。こういう用語に満足な定義がないことは、満足な定義があると思っているグループから離れて、外から定義を眺めてみないことには気づきにくいと思います。ところが、クループから外に出ることは、その用語については数で押し切られる側に立つことになるので(ちなみに、この、「~の側に立つ」にも、「そう見える」以上の定義はないようですね)、後のことを考えるとしり込みすることになります。

結局、いじめという事故が、よそ者排斥の仕組みから出てくるなら、日本語にありがちなよそ者を排除する言葉を一切使わないところから始まることになるので、簡単には進まないのではないかという気がしています。

ただ、こういうよそ者排斥的な言葉遣いは、団塊の世代を含んでそれ以上の世代に目立つようにも思えるので、心配しなくとも時間が解決する、ということになるのかもしれません。

そうですね。いじめの根幹は「村八分」にあるのかも?
ただ、いじめにはそのようなよそ者排斥以外のものも含まれているような気もします。あいつをいじめてやりたい、という欲求はたとえばSMなんかにもあるし。。

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