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2012年5月 3日 (木)

いろいろ(289)「千の葉、つまずいた女性」

ビルギッタ・ブクト「千の葉、つまずいた女性」(TUSENBLAD, EN KVINNA SNUBBLAR )を読んだ。高齢の女性が風呂桶の中でつまずいて転んで脚を折って動けなくなってしまう。ヘルパーの女の子たちが来るのは数日後。叫ぼうとしても誰にも聞こえないし、声も出ない。「千の葉」という変わった名前の年老いた女性は動けないままにいろいろなことを思う。

美しく若いまま自殺してしまった母。千の葉をほしくなかった母。7人の子どもを育てながら、千の葉のこともとても可愛がってくれた母の友人。子ども時代、変わった子として育つ千の葉のたったひとりの友人だった男の子はブラジルに戻ってしまう。失恋でパニックになった千の葉は学校に行かなくなる。病院のカルテ倉庫に臨時の職を得た彼女は引退するまでそこでずっと働いた。脚を折った痛みで気が遠くなりつつ、風呂桶の中で千の葉の思い出や母グレタのバックグラウンドなどが絡み合いつつ明らかになる。最後は強烈な母への思い。

ビルギッタさんの文体は短くテンポが良く、ユーモアに富むが、ストーリーの内容はかなり暗い。訳してみようかと思う、と彼女に言っちゃったんだけど、できるかなぁ?

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コメント

日本では最近、風呂場で心臓ないし血管系に問題を起こして、亡くなる方がおられるようです。日本の風呂桶は深いので、事故で沈んでしまうと、自分で気づいて回復できないと命にかかわることもあります。
こういう前提で読んで、たまたま湯が入っていなかったのかしら、と思い、洋式の風呂桶なら湯が浅いので、横たわることもできるのかな、と思い直したりしていました。

今の日本のように自立という名の孤立が進む社会ではホットなテーマなのかもしれませんね。重たいことはたしかですが。

洋式の風呂桶でほとんど横たわることが可能(でも頭はヘリに預ける)なタイプですが、物語ではお湯が入ってないんですよね。お湯を張らずに風呂桶の中に入ることがあるのかな?と最初疑問に思ったのですが、シャワーを浴びようとするんだったらそれもありかなと思い直しました。
実はこの「湯の無い風呂桶」が伏線となって最後の方でホラーな展開になるのです。じゃじゃじゃじゃーん。
でも、どちらkといえば「純文学」だからいまどきの日本の出版社では出してもらえないかも。まだ、働きかけてないけど。

確かに、「湯につかる」というのは西欧的ではないのかもしれませんね。

ところでストーリに直結することを聞いていたりすると気が利かないのですが、「千の葉」という名前には何かのイメージがあるのですか。「百万の葉(ミル フィーユ)」なら焼き菓子になりますが・・ タイトルからはちょっとわかりにくかったので。

「千の葉」(Tusenblad)のおかあさんはグレタ・グスタフソンという名で、有名なグレタ・ガルボと同姓同名だったのです。で、美人でもあったのですが不倫の果てに別の適当な男性と結婚してその後自殺してしまいます(Tusenbaldはどちらの子か分からない)。グレタは生まれる子が男の子だったら「メモ帳」(Bladdrablock)、女の子だったら「千の葉」(Tusenblad)と名づける、と決めていました。ですので「千の葉」は主人公の名なのです。Tusenbladという名は、響きはまあ許せるとしても名前としてはまったくヘンです。周囲の人々も変な名前だ、親は何を考えていたんだ?と物語の中で何度も言います。ストーリー展開の中では、葉っぱが一枚ずつはがれていく、なんていうイメージ効果を生んでいたりもします。固有名詞なので本来ならば「トューセンブラード」とそのまま使うべきなのでしょうが、名の違和感を伝えたかったの名前も訳しました。

詳しい説明をありがとうございます。お話しを伺うと、「葉」というのは「木の葉」ではなくむしろ、紙のようなものを指すのかなと思い始めています。(日本語なら紙を一葉、二葉と数えていいと思いますが、スウェーデン語でそうできるかは知りませんが。)大切なことが書いてある紙が積み重なっている、というようなイメージなのでしょうか。

千の葉という名前ですが、それほどの違和感はありませんでした。文人の雅号だったらあってもいいかな、と思いますし、名前を訳すということについても(全然別のケースですが)「紅の豚 (Porco Rosso)」という例を思い出します。

紅の豚は、紅に彩色した飛行艇を操縦する豚というイメージで、アニメのいたるところで登場していますが、こういう、イメージ的な何かがあるのかな、と思った次第です。たとえば、積み重なった記憶を一枚一枚手にとっては確かめる、というような。

「紅の豚」はクロウト受けする映画でしたね。私は「ナウシカ」の方が好きでした。「紅の豚」をずっと「虹の豚」だと思い込んでいたのは私です<だって「クレナイのブタ」ってごろが落ち着かないんだもん。。

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