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2012年1月15日 (日)

いろいろ(235)「落語的ニッポンのすすめ」&「貧困の僻地」

ちょっとペースを落としてゆっくり読まないとまた飢餓状態になる、、と思いつつ読書継続。桂文珍「落語的ニッポンのすすめ」と曾野綾子「貧困の僻地」を読んだ。「落語的・・」は新聞連載エッセイを集めたもので、各話に一度はプッと噴出すようなところがあって面白かった。「貧困の・・」も雑誌連載エッセイをまとめたもの。足を骨折してチタンの釘を入れたままアフリカの僻地に行き、そこの修道院で暮らす日本人シスターと話したときに「チタン釘なんて貴重だからこの修道院(手術もできる産科クリニックになっている)で抜釘手術してとったものを置いてけ」とシスターに言われたとか、のエピソードもある(アフリカから戻って日本で無事に釘を抜いた際、それをもらってシスターに渡せるようにとってあるのだそうな)。

いつも思う(いつも書いてる)のだけど曾野綾子のエッセイは芯が通っていて良いと思う。教育の荒廃を全面的に日教組のせいにするのはちょっとう~ん?という気もしないではないけど。

昨日は休んじゃったけど今日はPPT資料つくり進めないと。。

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コメント

日本って、地勢的に見て東西の境目なんですね。第二次大戦以降、戦勝国が敗戦国を管理するが戦勝国間の勢力争いは野放し、という状況がずっと続いてきて、国内でも戦勝国を代理して紛争が続いてきた。教育の方向が定まらないのもそのあたりの影響なんではないかと思ったりもしてます。

日本と西欧では同じ言葉の理解がずいぶんと違っていたりします。たとえば、Wikipediaで日本文化史を調べると、「音楽」は「芸能」のサブカテゴリにあって「芸術」には入っていない。これは具体的には、音楽は作曲家個人の創作物(「ベートーヴェンの第九」のように)ではなく、ある団体(ソサイエティ)の資産(?)(流派の演題-- たとえば、「諸井誠が作曲した竹籟五章」ではなく「登山流尺八の本曲、松籟五章」-- 事の良しあしでなく、現実として)となっていたりします。

こういう話を今までどう教えられてきたかを振り返ってみると、西欧・欧米流(またはその真逆としての、東欧流)が絶対的に正しいんだ、日本のやってきたことは絶対的に無価値なんだ、と、検証できる根拠がないまま、教えてこられたような気がします。

ある意味空中楼閣ですから、方向が決まらないのも無理はない・・・ (**)。誰のせいというのはいつでも言いすぎになってしまうのでしょうけれど。

おおー、卓見でございますねぇ。日本では音楽が芸術ではなく芸能っていうのも面白いですねぇ。
今の日本の政治が乱れているのは「小選挙区制のせいだ」という解説を良く見ますが、やっぱりあれは「政治家(個人としても集団としても)のせい」だと思うんだけど、「・・のせい」というと多分何事につけてもちょっとは当たってるのだろうから「言いすぎ」でも反証は難しいのかも?

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