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2011年1月 9日 (日)

いろいろ(80)「I'm sorry, mama」と「人間の覚悟」

桐野夏生「I'm sorry, mama」と五木寛之「人間の覚悟」を読んだ。I'm sorry, mamaは前に読んだことがあるのだけれど、部分的にしか思い出せなくて、結末は忘れていたから、う~むむ、こんな絶望的な小説だったのか、と思った。ま、桐野夏生の小説で希望に満ち溢れたものはほとんど無いのですけどね。I'm sorry, mamaはすぐに人を殺してしまう中年女性の「母探し」が筋なのだけど、ちょっと設定に無理があるような気も。。

「人間の覚悟」は2008年の本で、もう人生を終える準備を始めた五木寛之のエッセイ。まあ、大和回帰といいましょうか、天命を信じよ、といいましょうか、それなりに納得できるものではあったけれど。彼によれば、西欧人にとって神を信じないというのはそれだけで怖いことなのだそうで、だから、貴方の宗教は何か?ときかれたら、「日本的アニミズム」と答えようかなと思ったり。今まだって、日本には神様が8millionもいるのです、と説明してきたのだけれど。

それにしても雪にうんざり。。

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コメント

西欧の神様の怖さ
シェーンベルクの「グレの歌」の中で、恋人トーベに死なれたワルデマール王が、神に向かって「Hell, Gott」と悪態をつくシーンがあります。その罰で、家来もろとも亡霊になって、夜な夜な狩りに出るという場面につながるわけですが。
ともかく、さまよえるオランダ人でも出てくるように、神様に悪態をつくと永遠にこの世をさまようことになるという。こういう話は、西欧にはよくありますね。
今朝がた、ベルクのバイオリン協奏曲を放送していました。この曲は、ベルクが愛娘のマノンを病で失い、目の前で進行している事態に自分では何もできず、葛藤ののちすべてを神に託して平静を取り戻す、といった感じの曲です。これがお話の世界で、ワルデマール王みたいに神に悪態をついたら、話は全然違う世界にぶっ飛んでいたのでしょう・・・

日本の宗教をアミュニズムに例えるのは、個人的にはあまり感心しません。欧州だってキリスト教以前はたくさん神様がいて、その当時は、クリスマスツリーに人を吊っていたという怖い話を聞いたことがあります。その時代を連想されたりすると、あまり面白くないので。個人的には「各個人がすべて、自身の裁量と責任で人生を決めているのだ」、と言ってみたいのですが、究極これは、「もともと神はいない」につながるので、西欧的には目をむかれそうな気がします。

五木寛之は「シンクレティズム」(神仏混交)にも言及しています。彼は「これからの世界はキリスト教やイスラム教のような原理主義的な一神教ではもう持続していけない、むしろ多神教的な、様々な宗教が共生し、混在する世界を考えるべきではないか、その意味で日本人がおのずから持っているシンクレティズムはこれから先、平和な世界を作るうえで非常に貴重である」といっています。う~むむむ。
アニミズムはどの世界にもあったからシンクレティズムよりは受け入れやすいのでは?
本書によれば、西欧文化(特にアメリカ)では、法廷で神に誓って宣誓したり、国を神に祝福されたり(ゴッド・ブレス・アメリカ)、ドル札にも「神のトラストによる」と書かれているのだそうな。。
<別件>
わくわくしてCDあけましたが、Wordの最新ヴァージョンなのでウチの機械が「これは読めん。読めるようにするために12GBのなんとかをダウンロードするかい?」ときいてきたので、「する」といってダウンロードしたはずなのに、まだ読めません。そのような世界に詳しい家人(息子)が戻ってきたときに聞いてみようと思っています。

あ、.docxになってました?すみません、余計なお手数かけてしまって。Wordのdocxファイルのリーダーは元居た職場でお世話になっていたのですが、Gバイトという大きさはなかったと思います。このCDの内容は改定するつもりのものなので、改定まで待っていただく方がいいかもしれません・・・音声ファイル抜きならメールの添付でも送れる大きさにはなりますが。

アミュニズムの件
米国など、日本たたきで稼いでいる人がいると聞きます。そういう所で相手の立場を読み間違えると、「日本が遅れていることは日本人自身が認めている」例として重宝されたりしかねないので、ほどほどに、と思ったりしています。
小石が礫岩になるにも繋ぎの砂がいるわけだし、混淆にも何かの原則は必要でしょう。それは何なのでしょうか。
個人レベルではキリスト教徒が仏教の儀式に参加するときのマナーも確立していたりして、もうそんなに問題はないのではないかと。
個人の立場はともかくとして、日本の立場で話す場所では、原則が大切ですから、宗教の原則として、いっそのこと、「ない(あるけど信じないのではなく、最初からない)」と言ってみるのも手かな・・・・と。もっともこれは机上の空論で、こう言うならこう言うで説明が大変でしょうけれど。

やっぱり音が聴けたほうが良いし、docxのファイルもそろそろ読めるようにしておかなければいけないと思うのでいずれバージョンアップします。
日本国の立場としては「神道」?神道についてほとんど知識が無いなぁ。。仏教は一応歴史の授業で習うけど(中身についてはともかくどうやってできたかとかどうやってひろまったとか)。

docxの件、了解です。

ちなみに、これがいいことかどうかは別として、日本国に公式の宗教はないはずです。
(すべて個人の裁量の範囲の問題になっているはず。)

だから、人がどのような宗教を信じるかについてはどうこう言う筋ではないと同時に、自分が信じる宗教を他から強いられる筋もない。やおよろず(八百万)の神についても、個人的に信じることについてはその人の自由ですが、日本国の、といわれるとちょっと引っかかります。信楽さん(in Japan)的には、古代の信仰という事実としては受け入れるけれど、自分自身との関係では違うので。

そうするとやっぱりシンクレティズム(神仏混交)っていうことに近くなるのでせうかしらね?<五木寛之はシンクレティズムを、神道と仏教だけでなくキリスト教他のすべてを受け入れるものとして書いてました。

微妙な話題のせいか、流れがあちこちぶれていますね。

自分の最初の立場に戻すと、宗教は個人と神との対話と考えています。だから、自分ならアミニズムとは言いませんと言った個所はあくまで自分ならの話で、自分以外の誰にも、こうせいというつもりはありません。

宗教はとても微妙な話題で、たとえば「キリスト教は一神教(で他の宗教に非寛容)」と言えるほど単純なものではないです。大きな宗派の人は「実態を知らない人の言い分」として笑って許すかもしれませんが。(この程度のことは当の宗派でもう気づいていて、対応している。)

信楽さん的には、ある宗教で解決がつかない問題を、拡大神仏混淆を含むどんな形であれ、他宗を強制して解決するというのは話になりません。(その宗教内で、天と地とを区分けする準備が、理論と実践の両面で整うまでは。)

まあ、大先生が出てきたら話はそこまで、というのが日本の流儀みたいなので、この話はこのあたりで幕に・・・

Dr.Shigarakiのご指摘に触発されて、国際図書館で、ひろさちやの「やまと教-日本人の民族宗教」というのを借りてきて読んでます。私としては自分はなにか絶対的な力の影響を受けているようだと感じるのですが、それを「神」と呼ぶことには抵抗があります(「運命」とかいう感じのレベル)。ま、読書感想はあとで書きますが、<大先生の終結>にいたしませうか。

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