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2010年12月 4日 (土)

いろいろ(62) 「国家の品格」

藤原正彦の「国家の品格」を読んだ。これも国際図書館で借りたもの。論理ばかりではいけない、という非常に論理的な内容だと思った。日本の品格が落ちたのは武士道精神がなくなったからだとか、数学は美しいところにあるとか、いろいろ納得できることが多かった。

本居宣長の歌が引用されていた:「しき嶋のやまとごゝろを人とはゞ朝日にゝほふ山ざくら花」

藤原博士はこれを日本のよさをあらわ明日歌としているけれど、今ネットでみてみたら「本居宣長記念館」(そんなのがあるのね?)の解釈では、彼個人の心を歌ったものだとか。ふう~ん。。年賀状に使おうかと思ったけど、んじゃ、やっぱ、エディスの詩にしようかな。

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コメント

品格という難しい言葉はともかく、論理についてはちょっとだけ。
論理って、ときどき、脅し文句みたいな使われ方をしていますね。知らない人は論理を唯一無二の土台の上にあると思うようだけれど、実はたくさんあります。二重否定が肯定と同値な論理(古典論理)、二重否定がいつでも肯定になるとは限らない論理(直観主義論理)、可能・必然が関わるときの論理(様相論理)、・・・。
そこで、まず、論理を使う人は、どういう論理で話すかを約束して、そこから外れないようにしているはず。特に断りがなければ古典論理を使っているはずです、が。こんな論理、見たことありませんか・・?
○ たくさんの例をまくしたてて、全体がどうだという論
  いくらたくさん並べても、例外が一つでもあれば、全体がどうだとはいえない。
○ 例外がまだひとつも見つかっていないからこの論は正しいという論。
  例外がまだひとつも見つかっていないことは例外が存在しないこととは違うので、例外がまだ見つかっていないことは、真偽が確定できていない(「真偽が未確定」と確定したわけでもない^^;)以外の何物でもない。(と、直観主義論理の本の入り口に書いてある。)

論理は約束事なので、たくさんの人の知恵が結晶しているとはいえ、囚われてしまっては身も蓋もありませんね。

藤原氏はお父様(新田次郎)から「卑怯なことはするな」といわれて育ったのだそうです。で、それは論理的に教えられたものではなくて、「ダメだからダメなんだ」と叩き込まれたのだと。で、そういう叩き込み画必要なのだと主張してます。ダメだからダメなんだ、というのは一種、爽快ですよね~。

「だめなものはだめ」は、「社会の公理として、これはだめ」の意味では、論理的に筋が通っています。

それはともかく、品格というのは、個人が言葉に出すには大きすぎるテーマのように思えます。
事実として、数学や論理のレベルですら、唯一と思っているものには大抵対案があるので、「言っている内容は合わないけれど、それぞれが正しい」、という事が実際に起こります。
こういう事態にぶつかったときには、それぞれが正しいだけに、お互いに正しさを言い募るだけでは自体が永遠に収れんしません。
こういう時に問われるのが品格と思いますが。

藤原氏の言う「国家の品格」という内容は納得できるものでした。ただ本来「品格」というのは「国家」とか「集合体」に適用するには違和感がある言葉だと思うのに、その後言葉だけが独り歩きをして二番目のどじょうを狙って「○の品格」という題名の本がいっぱい出たりしましたよね。DrShigarakiの最後の行の主張はそのまま藤原氏が本で主張してました=正しいという論理がぶつかるときに問われるのが品格

そうですか・・;。私は2番目以降の「品格」本の印象が強すぎて、一番目の本も敬遠していました・・・

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